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サボローとぼく いいやつすぎて泣けるマンガ 作者:ホロ [感動する話]

SHIGEZOじゃ。



明光義塾のオリジナルキャラ「サボロー」が

以外いいやつだと称賛されているなか

『サボローとぼく』というタイトル漫画を描いた方がおった。

それがめちゃくちゃ評判が良く

結果「サボロー」の株をさらに上昇させた作品を紹介しますじゃ。




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そもそもサボローとは





その名の通り、勉強をしようとしている学生に

「さぼろうよ」と様々な誘惑をしてくるキャラクター

もともとは「YDK(やればできるこ)」でおなじみ明光義塾

の「サボローの誘惑にそそのかされずに勉強しよう」という

名目のもと作られたキャラクターじゃったが。。。





このようにあれやこれやと様々な誘惑をしてくるサボローに

なんとなく「いいやつなんじゃないか説」が囁かれだす。




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そして、そのサボローを題材に

感動する作品を作り上げたものがいた。。。

サボローとぼく【本編】



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サボローとぼくの作者



ホロ さん

Twitterアカウント

@horotiki



と、サボローの存在に気づいてから

1週間という短いあいだにこのような作品を作り上げたのじゃ。

サボローの特性をフルに活かした素晴らしい出来栄えじゃったぞい!



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加藤明 ペルー女子バレーの育ての親がアンビリバボーで紹介される。 [感動する話]

SHIGEZOじゃ。


今回は「奇跡体験!アンビリバボー」から

感動する話をお届けしますじゃ。

このお話は加藤明という日本人と

ペルーの女子バレーボール代表チームが

バレーボールで世界を目指す

奇跡の成長の物語じゃ。

「ペルーの英雄」とまで言われた

加藤明とは一体どんな人物で

どんなストーリーなのか紹介するぞい!


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加藤明のプロフィール



加藤明(かとうあきら)

1933年神奈川県小田原市出身。

幼き頃からバレーボールに夢中になり

慶應義塾大学でバレーボール界に

名をとどろかせる。



1955年八幡製鉄に入社し5年間かけ

バレー八幡製鉄チームの主将となり

同年世界選手権に出場する。

翌年1961年引退し、

母校である慶應の監督に就任する。



加藤明は指導者としても特化しており

当時2部リーグで低迷しておった慶應バレー部を

たったの3年で全日本大学選手権に

優勝するまで導いた男じゃ。



加藤明、ペルーの女子バレー監督に就任



1965年ペルーの女子バレーボールは

世界的にみると実力はかなり下の方じゃった。

オリンピックには出場したこともないほど。



反対に当時の日本女子バレーは

「東洋の魔女」と恐れられるほど強く

日本女子バレーの最全盛期とも言われておった。



鳴かず飛ばずのペルー女子バレーを

なんとしても強化したかったペルー政府は

なんと、加藤明に指導してほしいと

猛烈なラブコールを送ったのじゃった。

それを良く思った加藤明は

ペルーの女子バレー監督になるべく

勤めていた八幡製鉄を休職し

2年間だけという期限付きで

ペルーに渡り、指導を開始するのじゃった。



加藤明、ペルーで非難を浴びる



加藤明の監督としての指導の持ち味は

「スパルタ」にあった。

まさに「アタック№1」の猪野熊大吾コーチばりに

厳しく指導をしておったのじゃ。

それくらいしなければ世界は狙えないと

判断したのじゃろう。



しかし、これがペルーでは逆効果で

あまりの厳しさに逃げ出す選手が

続出するのじゃった。



こうして、マスコミには「非人道的」などと

取り上げられ、そうとう叩かれたそうじゃ。



加藤明、「すきやき」で心を掴む



批判され続けたが、諦めない加藤明が

次にとった行動はペルーを歩き回って

バレーの原石を探し回ることじゃった。

さらに日本の食文化である「すきやき」を

選手たちにご馳走し海外でなぜか「スキヤキ」

と呼ばれておる「上を向いて歩こう」を

弾き語るなどして徐々に選手たちと

コミュニケーションを取り

距離を縮めていったそうじゃ。



こうして全体的に実力が向上していった

ペルーの選手たちは世界選手権の

切符を勝ち取るまでに成長していたとのことじゃ。



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そして、約束の2年が訪れる



1967年東京で行われた世界女子バレー選手権

を最後に加藤明はペルーでの任期を終え

会社側に帰国を迫られる。

選手権でのペルーの成績は最下位

という結果に終わってしまい

納得のいかなかった

加藤明は任期の延長を訴えた。

加藤との別れを惜しむ選手たちに

心を打たれた八幡製鉄は

もう1年だけ加藤に休職期間を与えたのじゃった。



3年目の飛躍的な成長



加藤明と選手たちは限られた

1年という時間をほとんど練習に費やし

メキメキとバレーの腕前を上げていく。



そして、1968年メキシコオリンピックにて

見事ペルーは4位入賞を果たす。

このあたりからペルーの国民から

「野蛮な監督」から一転し「ペルーの英雄」

と呼ばれるようになっていったのじゃ。



その後、加藤明は会社を辞めて

ペルー女子バレー代表監督として

ペルーに永住する決意を固めたそうじゃ。



加藤明、病に伏せる



ついにペルーの監督としてやっていくと決意し

周囲の期待も高まり、世界の頂点を

目指そうとしていた矢先のこと

加藤は急性肝炎で倒れてしまう。



監督も辞任せざるを得ないほど病状は悪く

十数年間の長きにわたり闘病生活を送っていたところ

ついにペルーで世界選手権が行われることになった。



加藤明、享年49歳。



1982年、ようやくペルーで世界選手権が

開催されるという事で喜んだ加藤明じゃが

開催目前にして、49年の人生に幕を下ろす事となる。



翌日の新聞では「ペルーが泣いている」という

見出しで、「ペルーの英雄」の死を悔やむ記事が報じられ

国民により教会の鐘や車のクラクションが

一日中鳴り響いたという。

さらにさらに!加藤明の葬儀には

当時の大統領が参加し

教え子の選手たちは「上を向いて歩こう」を

合唱し、加藤との永遠の別れを告げたのじゃった。



加藤明とのお別れから半年後の本番。ついに・・・



自国で初めて開催された世界選手権で

ペルーは長年の目標でもあった日本を

打ち破ることを実現させた。

その瞬間、観客席では「アキラ・カトー」の

コールと共に盛大な紙吹雪が舞っていたそうじゃ。



その後のペルーは準決勝でアメリカに勝利!

決勝では惜しくも中国に敗れましたが

初めての世界選手権銀メダルを獲得したのじゃった。



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日航機墜落事故にさんまが乗る予定だった。IMALUの名前の由来にもなった真相とは? [感動する話]

SHIGEZOじゃ。


1985年8月12日の日航機墜落事故から

今年2015年で30年たちますじゃ。

長いようで短かったですが

当時は騒然としたものじゃ。



そんな日航機墜落事故に明石家さんまが

乗る予定だったこと、

それが娘IMALUの名前の由来になっておったこと

それぞれお伝えしていきますぞい。


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日航機墜落事故にさんまが乗る予定だった



1985年8月12日

大阪ラジオ番組ヤングタウン

のレギュラー出演のため

伊丹息の日航機に搭乗予定

直前の仕事ひょうきん族の収録が

早めに終わったため

一便早い全日空に乗り換えたため

墜落をまのがれたのじゃと。



事故の事を知りショックを受け

しゃべることも出来なくなった

さんまに対し

ヤングタウンでは

事故の報道特番に

切り替えたそうじゃ。



明石家さんまには座右の銘

「生きてるだけで丸儲け」

という言葉がありますじゃ。

これは日航機墜落の事故で

もしかしたら自分が

亡くなっていたかもしれない

という思いで考えたものであり

さんまにとっては超重要な事でもある。

それがわかるエピソードとして

次の事があげられる。



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IMALUの名前の由来にもなった真相とは?



1989年9月

女優の大竹しのぶとの間に

長女「いまる」が誕生する。



そう、後に歌手「IMALU」となる

明石家さんま実の娘ですじゃ。




この「いまる」という名前

名付け親はさんまの方で

大竹しのぶは変な名前だからと

反対だったそうじゃ。



しかし、これは前述した

明石家さんまの座右の銘

きてるだけでまるもうけ」

から取っていると言われており

日航機墜落事故から誕生した

座右の銘を周囲の反対を押し切り

娘の名前につけるというほど

この事件はさんまにとって

一生忘れられない思い出だったことじゃろう。



このように回避不可能な

幸せも不幸せも生きておるうちに

何度も経験するのが人生じゃが

まさに生きるという事は

常に死と隣り合わせである

という事でもあるので



あのように普段TVでワシらを

楽しませてくれるさんまの

原動力はここからきているのかも

しれませんですの。


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アンビリバボー7月30日のランドローバー社の感動秘話【動画あり】 [感動する話]

SHIGEZOじゃ。



今回の感動する話は2015年7月30日放送の

奇跡体験!アンビリバボーで放送された

ニュージーランドに住むウィルとクレアと

ランドローバーのオフロードカー

「ランディ」にまつわる感動秘話を

お届けいたしますじゃ。

アンビリバボーを見てない方はネタバレに

なってしまいますじゃ。お気を付けて。


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4人の大事な宝物「ランディ」



この物語の主人公は

ニュージーランドオタゴ大学に通っていた

ウィルくんですじゃ。



彼は寮で4人の仲間たちと

共同生活を送っておった。

彼らは1年生の時に

なけなしのお金を出し合い

ランドローバー社のオフロードカーを

購入。「ランディー」と命名した。



彼らのランディーに対する愛着は

かなり大きく、4人で出かけるときは

いつもランディーにお世話になっており

シンボルマークとしてステッカーを貼り

週末には旅行に行くなどして

かなりの想い出を詰め込んでおったとな。



そんなウィルたちも大学を卒業して

離れ離れになることに。

ランディーはウィルの叔父に預けることに。



走行不能となってしまった「ランディー」



叔父に預けてから9年後経ち

ウィルはクレアという女性と結婚することに。

それを機に叔父に預けていたランディーを

返却してもらったウィルじゃったが…

ランディーは痛みが激しく

ほとんど走行不可能という状態になってしまっていて

修理費用の面も考えて

ウィルたち4人は相談し、ランディーを

オークションに出品することを決意したのじゃ。



オークションの出品時のメッセージには

自分たちにとってどれだけ愛着があるものなのか

自分たちよりも大切にしてくれる人に買ってほしい

という内容の文章を添えて。。。


そして、この後思いもよらない奇跡が起こりますじゃ!



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「ランディー」がCMに出演している!?



バレンタインデーにウィルたち4人は

クレアや子供たちとウィルの自宅リビングで

何気なくTVを観ていました。

すると、ランディーと同じ車種の

綺麗なオフロードカーが

ニュージーランドの各地を軽快に走る

CMが流れてきたのじゃ。



懐かしさに浸り笑いあう4人。

そして、CMの車がアップになったとき

ウィルはランディーに貼っていた

シンボルマークのステッカーが

同じ位置に貼ってあることに気づき

大興奮しますじゃ。



ファッ!!?

なぜこのステッカーが貼ってあるのか??

興奮しながら画面を指さすウィル。



するとCMの最後に

「君たちにハッピーバレンタイン。
キーはクレアが持ってるよ」の文字が!

ウィルの奥さんのクレアは横でスチャっとキーを出す。



ランドローバー社とクレアのサプライズ



自宅ガレージに4人で向かってみると

ほとんど新品状態にリストアされた

「ランディー」が格納されておりました。



なんと、このサプライズは

ランドローバー社とクレアの

ドッキリプレゼントだったのじゃ!!



実はオークションサイトで

ランディーを競落したのは

開発メーカーであるランドローバー社で

ウィルが大事にしてきたという

メッセージに心打たれ

購入し綺麗にリストアしたのじゃった。



特徴のある傷や凹み・ステッカーは

そのままにするという粋な計らいもして。



そして、サプライズのために

奥さんのクレアに協力してもらい

CM撮影をし、

バレンタインデーに決行したのじゃった。



ランドローバー社が作成したその時の映像がこちら!




車を愛して使ってくれたユーザーに対して

メーカーがサプライズをしてくれるという

なんともほっこりするお話じゃったの。




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亡き父のパネルと世界一周旅行する女性の話。 [感動する話]

SHIGEZOじゃ。


今回はガンで亡くなった父の
等身大のパネルとともに世界一周旅行した
楊金娜(ヤン・ヂンナ)さんについて特集しますじゃ。


世界中が注目し、話題を呼び
中国教科書にも載ったという
感動のエピソードを、実際の画像と共に
公開させていただきますじゃ。


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亡き父のパネルと世界一周旅行



この感動エピソードの主人公は
楊金娜(ヤン・ヂンナ)さんという
アメリカ・ニューヨークで働く一般女性じゃ。


彼女の父は医師をしており
家族思いの優しい父親だったそうじゃ。
そんな父の夢は世界各地にある
有名な観光名所を周る「世界一周旅行」じゃった。


仕事は忙しかったが、父は家族が大好きで
幸せに暮らしておったそうですじゃ。


しかし、2012年の事。
父が突然胃がんのため帰らぬ人となってしまいます。
悲しみに打ちひしがれる楊金娜(ヤン・ヂンナ)さん。
それは仕事も手につかないほどじゃった。


いつまでも感傷に浸っていてはいけないと思った彼女は
一大決心をする。
それは、お手製で等身大の父の「パネル」を作成し
父の夢であった有名な観光名所を一緒に周る「世界一周旅行」
をするという前代未聞な計画じゃった。


この計画を実行するために彼女は
ニューヨークでの仕事を辞め
ほとんどの貯金を使ったそうですじゃ。


しかし、彼女の一風変わった写真
世界各地で注目を集め、その感動秘話に
世界中で話題を呼ぶこととなり
最終的には中国の教科書に載るほど
彼女の家族愛は多くの人の心を動かしたのじゃった。



後半は楊金娜(ヤン・ヂンナ)さんの
実際に撮影された美しい画像を
公開しますじゃ。


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観光名所での父との写真の数々



アイスランドのグトルフォスの滝
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アイスランドのブルーラグーン
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フランス・パリのエッフェル塔
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同じくパリのルーブル美術館
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イタリア・ローマのコロッセオ
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イタリア・ピサの斜塔
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イタリアのフィレンツェ
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このように写真を残して
大好きな父親との大切な思い出を
残したいという彼女の想いは
現在では中国教科書にまで載って
沢山の方々の目にふれるようになったのじゃな。


そして最後に楊金娜(ヤン・ヂンナ)さんのコメントじゃ。

「両親と子供、妻、友人のために一生を捧げた父は、
世界を旅する時間などまったくなかったので、
こうして連れてきてあげることができてよかったです」





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